no title
「分かるだろう、ニュースピークの目的は挙げて思考の範囲を狭めることにあるんだ。最終的には<思考犯罪>が文字通り不可能になるはずだ。何しろ思考を表現する言葉が無くなるわけだから。(略)」 (ジョージ・オーウェル 著 高橋和久 訳 「一九八四年」82頁より)
聞きかじっただけだが、ウォルター・J・オング「声の文化と文字の文化」では、文字を持った民族は文字なしでは思考できない。といったことを述べているらしい。
言葉と思考まだまだ、考えがまとまらない。しかし?だからこそ?このテーマを考えるのが好きだ。
「思考は言語構造に規定される」とするサピア=ウォーフ仮説なんかも楽しい。昔からこのテーマは好きだな。
きっと、自身の母語ってのは当たり前なんだけど生まれる時代、場所が違えば違うっていう禅問答に似たことを昔、兄にされたからなんだろうな。その時は、「お前はなんだ?」みたいなことを言われた気がする。~~県人とか、~~弁をしゃべるとか、性別だとか、社会属性、外形特徴を羅列した気がする。
追記 言葉でないと思考できないけど、そもそもの言葉ってどうやって理解してるんだろう。