メモ帳.txt

have a nice day

無題

 ここ数日よく目にするのが、studygiftとか、金くれっていう類のもの。これのアンチというのか、皮肉、オマージュというのかが、金やる

 学費をくれとか、○○するために金をくれとか、××するためなら金をやるとか、その是非というのか倫理面は余り興味が無い。それよりも、金ってそんな簡単にやり取りできるものなのか?そもそも金ってなんだ?っていう疑問が湧いた。

 

 こういう時には、大本に返ることにしてる。金なんてなかった、物々交換の時代に。また、それ以前に。

 

 

 大昔は、「生きること=狩猟採集」だったはず。「食べること」と「生きること」が等号で結ばれていた。時代を下るに従って、「農耕牧畜」っていう「仕事」、「作業」が生まれたんだと思う。食料の「保存」っていうのが生まれたハズだ。高床式倉庫っていうのがそれにあたるはず。毎日の食料をその日に捕るのではなく、1年間の食料を1年かけて育てるために。

 保存されたものを別のものと交換する。交易の発生とか発展とかっていうのもこの時期なんだと思う。ここでようやく物々交換っていうものが生まれて、その不都合を解消するための「金」が生まれたんじゃないかな。交換手段としての「金」が。

 この時点までの金っていうのはおそらく、腐らない食料、食料との引換券ぐらいの意味しか持ち合わせていなかったんだと思う。

 登場人物は農民と商人ぐらい。

 

 で、現代と比べて何が違うのかなって考えるとあんまり違いはなさそうなんだよな。大きな枠で見ると、生産者と仲介業者の2者しかいない。製品の種類が莫大になったから、金の意味が変わってきてるんだろうなと。食料との引換券から、何にでも引き換えれるワイルドカード、ジョーカーに。

 そうなると、先の見えない「未来」のためにジョーカー集めを必死にやるようになったんだろうな。多くは、自分の時間をジョーカーに換える。またあるものは、「ジョーカーをくれ」と声高に叫んでる。きっとそれだけなんだろうな。

 

 さて、そろそろ結論をだそう。金とは何なのかっていう疑問の答えを。

金って結局のところは、交換手段でしか無いんだと思う。それが答え。

 

 貨幣の機能として貯蓄できるとか、価値尺度になるとかってのはあるけど。腐ることがないから、交換のタイミングを支配できるものではある。地獄の沙汰も金次第とは言うけれど、通帳の数字がいくら増えたところで、それだけでは何ら意味が無いと思う。何かに交換しなければ。

 

ま、全部妄想なので、真偽の程はご自分でお確かめください。