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have a nice day

平和 誕生 戦争

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 8月のこの時期に誕生日が毎年ある。
広島・長崎の原爆の日があり、誕生日があり、終戦記念日がある。
そのおかげか、誕生日近辺には毎年のように平和や戦争についての記事をポストする。

 今年は、韓国中国の動きもあり一層ナショナリズムの機運が高まっている気がする。
話に聞くところでしか無いが、韓国と中国は第二次大戦について戦争責任を果たせというが、それ以外のアジア各国は日本のお陰で植民地支配を脱したやら、西欧列強に対抗できるアジアの一翼である日本へそう、悪い印象を持ってはいないらしい。

 それが何だというわけでもないが、どうもアジア=中国or韓国 というイメージが先行し過ぎのきらいがあるようで奇妙に思う。東アジア、東南アジアだけでなく中央アジア、アラブ諸国だってアジアなんだけどね。

 さて話を戻そう。平和ってなんだろうね。
考えるときには、反意語を考えてみるといいよ、とは大学時代の先生の言葉。
平和の反意語ってなんだろう。「戦争」だろうか。

 おそらくだが、そうではないと思う。
「戦争」はそれぞれの国・団体が思う平和へ向かう過程で起こるものだと考えられる。
先の大戦しかり、今も起こるテロとの戦争なるものしかり。それぞれの望む平和を獲得しようとした結果起こったのが戦争であった。

 平和へのプロセスの途中にある戦争。それが反意語には成り得ないだろう。
では、平和の反意語は何であるのか。
多分だけど、無欲とか諦めとかっていう言葉になるんだと思う。

 平和を望む意思のない世界それがきっと、平和の反意語足り得るのではないか、と。
あくまで、ひとつの考えでしか無いけれど。