写真と自転車となにかしら。
昨日、京都市内12か所でやってる写真の展覧会イベント(?)に行ってきた。 京都グラフィーってやつ。GWの真っただ中で、会場間も離れているし、電車の駅からも微妙な距離のやつが多い。激混みのバスは勘弁。どうせならってことで、自転車をレンタルして、縦横無尽に気楽に見に行った。
調べてみると思いのほかレンタサイクル屋さんって多い。京都駅近くにもあれば、四条烏丸とか中心部にもある。借りたのはキャノンデールのミニベロ。1日で2000円ぐらい。高いのか安いのかよくわからんが、ものはすごく良かった。のでいい経験したなーとは思ってる。すいっすい走るのな。いままで、いい自転車に乗ってこなかったからなんだけど、あそこまで違うものだとは正直思ってなかった。摩擦が劇的に小さい。軽く足で地面を蹴るだけでも距離を進む。速度も出る。
全部で6か所を見てきた。考えることは多かった。ケイト・バリーと小野規。この両名の写真はほんとに見られてよかったなと。
ケイト・バリーの方は人物のポートレートが1階に展示。2階に3.11の写真が数点。3.11の方はどれも、よく見るようなもの。倒壊した建造物。それよりも、ポートレートに惹かれた。有名な役者たちの多種多様なポーズのポートレートもいいんだけど。5,6枚の少女のポートレートに見入っていた。何がいいのか、どこがいいのかよくわからない。けど良い。スタジオにおかれた1脚のイスで遊んでいる。座ったり、くぐったり。
小野規の方は3.11の写真が20枚ぐらい。
清潔な真っ白な壁。
真新しくきれいな額。
水平垂直に並べられた作品。
事実を説明しただけのそっけない題。
撮影された経度・緯度。
そして、
それらの中には瓦礫、タイヤの山、云々。悲惨、恐怖、悲嘆、さまざまな文脈の中で語られてきた3.11を今まで見てきた。小野規の作品はそうじゃなかった。標本的な、冷静さを感じた。1点1点の作品が虫ピンに止められた昆虫標本のよう。
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芸術的な写真はどうも苦手みたいだな、とよくわかった。これは何?どういう意図があるの?なんで?? と、クエスチョンマークが躍るから。