生きること,食べること,殺すこと.
今年の1月18日に大学の友人が猟師さんを紹介してもらって,鹿を解体,食すと聞いて,少しだけ手伝った.以下,多少グロテスクな写真があるかもしれないので,苦手な人は見ないほうがいいかもしれない.
人間が生きていくためには,何かしらの生命を奪い,食さねば生きていくことはできない.ただ,それにたいして私はあまりにも実感がなさすぎた.だから,これをいい機会と誘われるまま参加した.
スーパーに行けばもう食品の形をした肉,魚がところ狭しとならぶ.100グラム○○円と値札を付けられて.カレー用,生姜焼き用,云々と用途に合わせてある程度の大きさ・形に切り分けられている.
何年か前に栄養学を学ぶ友人と,「魚が切り身で泳いでいる」という認識の子供はこのままでいいのか?,といった議論をした.魚は切り身でないことは知っていたし,牛・豚・鳥にしても知ってはいた.しかし,「生きている牛・豚・鳥→???→食品としての肉」というように生き物と食品の間に対する認識はなかった.
以下の写真では,「原型を保ったままの生きていた鹿→皿の上にならぶ肉」を見ることができる.まだ暖かく,本当にさっきまで生きていたんだと分かる鹿.それを頂くこと.
生きること,それと不可分の原罪.生きるためには他者を殺さねばならぬという人間存在の業の深さを頭ではなく,肌で知った.
一度体験すること.一度の体験でいかほどの経験があったのかはわからない.しかし,体験し,改めてスーパーへ行く.少しだけ,今までとは違った目で肉を買えるようになったのかなと思う.
「ブタがいた教室」という映画を思い出した.この映画は,自分たちの手で豚を育て最終的に殺し,食べるのかどうかを子供たちが決断する,という部分に主眼が置かれていた.「いのちの食べかた」という映画もあったな.こっちは淡々と食品を作る工場を写していた.どちらもまだアマゾンで扱っている.割と最近の映画だからツタヤにもあるかもしんないな.
食育っていう言葉で綺麗にまとめてしまうんじゃなく,自分で(捕まえ)殺し,解体し,調理し,食べる.これをすればもっと職について考えるんじゃないかな.
大きなビニール袋から覗き出る鹿の足.
大きなカッターナイフで皮を剥ぎ,鹿を解体していった.
左後ろ足を採られた鹿.残りは翌日に解体,食されました.
日常目にする形の鹿肉.皿の上に盛りつけられている.