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have a nice day

無題

コンプガチャとペプシ、沖縄のこと、少しずつ「興味を持つ」ことが復活してきた。

 

 

 昨年、自作の演劇「わーわー」を沖縄県内で演じた。わーは沖縄の言葉(ウチナーグチ)で「豚」。「人間」の社会に組み込まれ、笑われ、無視される。そこから逃れるために、豚語を捨て、姿も変える。

 「人間」は日本人、「豚」は沖縄の人(ウチナーンチュ)。「強烈な芝居」と話題になり、公民館や中学校からも依頼がきた。上演後の反応は割れた。「沖縄と本土を分けるのはおかしい」「いや、これこそ現実だ」

 昨年まで住んだ実家は米軍嘉手納基地のそば。母が通った小学校には53年前に米軍機が墜落し児童ら17人が死んだ。母は生き、私が生まれた。ではあの子たちは、なぜ死なねばならなかったのか。

 普天間飛行場の県内移設を訴える政治家を見て気づいた。私たちを見ていない、うつろな目。

 我慢してください。1億の「人間」のために――。「そうか。私たちは『人間』じゃないんだ」

 劇のクライマックス。「豚」たちは結局「人間」に食われる存在ではないかと自問する。老いた「豚」が観客に語りかける。「『豚』が『人間』になれるわけがない。本当は差別されているんだよ」 「沖縄人は豚ですか?」〈日米琉40年:上〉(朝日新聞デジタル より)

 

 

 心のどこかで沖縄の人のことを「豚」扱いしてないだろうか。「日本」は単一民族だというまやかしによって、「琉球」や「アイヌ」を忘れていやしないだろうか。民族の定義も知らないから単一民族といえるのかもしれないけれど。沖縄出身の友人の言葉の中には「ホンド」、「ウチナー」、といった「沖縄と日本」の2極を想起させる言葉がある。

 

ああ、支離滅裂。